患者さんの気持ちを第一に考える治療院
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泉田宥美治療院のお店日記
2013年09月20日 今でも考えてしまう事
私がプロボクサーだった頃の話。
6回戦に上がった頃、怪我の為、1年ほどブランクがあった。
その頃、マネージャーから1人の青年を見るように言われた。
A君はプロを目指していて、数か月後にプロテストを受ける予定だった。
私より2歳ほど年下の子だった。
私はA君の練習を見守り、気が付いた事をアドバイスしたりしていた。
トレーナーになって気が付いたんだけど、自分が疑問に思っている事を、その子にアドバイスしている自分が答えを言っている時があった。
練習している時とは違う目線で見ることは、すごく勉強になった。
何故、こういう動きをしなければならないか?
何故、こうしなければならないか?
それを考えて、伝えようとする。
それはイコール自分に対する答えでもあった。
最初、練習ができないことをストレスに感じていたけれど、段々、トレーナーをするおもしろさにも引き込まれていった。
そして、その子がプロテストを受けるのに必要なCT検査を受…
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2013年09月07日 体罰
昨日、テレビで桜宮高バスケ部自殺初公判の放送を見た。
私は改めて、顧問の先生に対する激しい怒りを覚えた。
「自分の子供にも同じことができるのか?」
という問いに「・・・できません。」との答え。
自分の子供にできないことを無抵抗の立場の生徒に何故できるのだろうか?
これは指導ではない。
完全に自分の腹立たしさからくる暴力以外のなにものでもない。
本当に自殺された主将だった少年がかわいそうでならない。
おそらく好きではじめたバスケットボール。
笑顔で楽しくやっていたであろうバスケットボール。
しかし、最後は主将になったことで、顧問からの暴力に怯え、笑顔が消えていたに違いない。
そして、その大好きだったバスケットボールを続けることに思い悩んで「死」を選ばなければならないなんて・・・。
本当に・・・本当にかわいそうでならない・・・。
私は学校の部活動の理不尽な先輩後輩の上下関係が嫌で、中学生の頃から、ジムに入って練習してい…
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2013年09月06日 他人を思いやる心
私が以前、勤めていたお寺での話。
ある日、池に落ちている落ち葉掃除をしようと、大きな網とゴミ袋を持って庭に行った。
すると、学校帰りの高学年の小学生7人くらいが池の周りでゲームをしたり、池の鯉を見て何やら話したりしていた。
「こんにちは!」
私は一瞬、声をかける前に少し不安に思っていた。
(最近の子供って、挨拶しても返してくれるかな?うるせー!とか言うのかな?)
「こんちはっ!」
私の不安を吹き飛ばす、元気のいい気持ちの良い挨拶が返ってきた。
「あ、僕達もなんか手伝います!」
私の持っている網とゴミ袋を見て、1人の子供がそう言った。
他の子供たちも一斉に私の方に寄ってきた。
せっかくなので手伝ってもらうことにした。
そこの庭の池は結構大きかったので、1人でやると1時間くらいかかった。
でも、子供たちのおかげで30分ほどで終わった。
掃除している間、子供たちといろんな話をした。学校、家庭、友達・・・子供たちの生の声…
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2013年08月25日 「痛み」に対する考え方の変化
2000年に開業して以来13年。
その間、たくさんの患者さんを施術させていただきました。
そして、いろんな経験をさせていただきました。
開業したての頃、ご高齢のご婦人が来院されました。膝が悪く数年病院に通っていたけど、一向に変化がなかったので当院に来られました。
膝が悪くなってから自転車にも乗れなかったそうです。
2度目に来院された時、その方は自転車に乗ってこられました。その方は大変驚かれていましたけど、それ以上に驚いたのは私でした。
ご高齢で強い矯正もできないので、結果がでるまで少し時間がかかるかな?と思っていました。それがたった1度の施術で結果が出た!
私は自画自賛というか、「私はもしかしたらスゴイ技術をもっているんじゃないか?」なんて思っていました。
そうかと思えば、当院のモットーである「3回以内に結果を出す!」の3回施術しても痛みのとれない患者さんがいたりと、自信がついたり、なくなったりという繰り…
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2013年08月05日 人間にとって1番怖いことは・・・
人によってはいろいろあると思います。
でも、つきつめていくと最終的に残るのは「死」だと私は思います。
何故、そう思うか?
私がプロボクサーの現役の頃。
試合が決まった瞬間から、自分の心の中に恐怖心が芽生え、それは試合が近づくほどに大きくなっていきます。 試合前日なんかはほとんど一睡もできず、気付いたら朝だったという感じです。
そこである時、私はこの恐怖は一体何なんだろうと、つきつめて考えてみました。
「倒されるかもしれないから・・・」「大衆の面前で無様な姿をさらすかもしれないから・・・」・・・
でも、それをもっとつきつめていくと最後に残るのは、「死ぬかもしれない」ということでした。
実際、私のデビュー戦はボクシングの聖地後楽園ホールで、人気のある日本チャンピオンのタイトルマッチの前座でした。
会場は超満員。
2000人以上はいたと思います。
相手はアマチュアで数戦している選手。
対して私はまったく初めて…
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2013年07月31日 生きるとは・・・
「何の為に生きているのか?」
誰しも1度は考えたことがあるのではないでしょうか?
「伊豆の踊子」という小説で有名な川端康成さん。
この方は、二歳のときに父を、三歳の時には、母を失ってしまい、 姉とふたりきりになってしま
います。
その後、母の実家に引き取ら れ、姉は伯母の家に預けられます。 七歳のとき祖母が死に、十
歳のときに生き別れになった姉が亡くな ってしまいます。 以後祖父と二人暮しを続けました
が、十六歳のとき祖父が亡くなっ て、とうとう天涯孤独な孤児となってしまいます。
そんな時、川端さんはこんな風に自問自答したそうです。
「人間の一呼吸は墓場への進軍の曲なり、なんぞ活動せねばならん や?」
「人生とは感激の為なり。」
そして、後々、すばらしい作品を残され、人々に感動を与えまし た。
幼少期に想像を絶するような経験をされた川端康成さんの言葉は、 非常に心に響きます。
私が治療…
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2013年07月29日 私の治療への思い<2>
私は僧侶になりたくないというのもあり、15歳からプロボクサーになろうと決めました。トレーナーから、「お前のボクシングはアマチュアじゃなく、プロに向いている!」と言われたことが本当に嬉しかったです。
そして、いろんな紆余曲折がありつつ、19歳でプロボクサーになりました。両親と4年間という約束だったので、どうせ勝負するなら東京で!と決めていました。
当時、映像では見たことがなかったんですけど、ボクシング雑誌の記事でファンになった伝説のボクサー「飯泉健二」さんの所属している草加有沢ジムに入りました。「飯泉健二」さんは映画にもなった悲運のボクサーで実物は私の想像以上の方でした。新人王戦の時にシューズをもらったのは良き思い出です。
高校生の頃、仕事で初めて腰を痛めてから、ずっと腰痛には悩まされていました。でも、外から見るとわからない痛みなので、なかなか言い出しにくかったです。自分でも、弱音を吐いていると思…
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2013年07月26日 私の治療への思い
私はお寺の家に生まれました。 小さい頃から、将来は僧侶になるよう言われていました。私もまた、それはしょうがない事だと思っていました。 小学校の「将来の夢」と題した作文でも、「私は将来、僧侶にならなければならないが、もし、ならなかったら・・・」というような前置きを書いていました。 ところが、忘れもしない中学2年の終わり。 高校生の不良たちに絡まれて、カツアゲをされてしまいました。 私は中学1年の頃から、ジャッキーチェンさんに憧れていて、自分で中国拳法の本なんか買って、独学で練習していました。 私と一緒に1学年下の子と練習していて、その子から「師匠!」なんて呼ばれていました。(笑) 型を覚えたり、組手っぽいこともしていました。 でも、そんな「ごっこ」はなんの役にもたちませんでした。 私は怖くて怖くて、結局、何も抵抗できませんでした。 家に帰ってから、男として何もできなかった自分が悔しくてたまりませんでした。 そんな…
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2013年07月20日 はじめまして。
泉田宥美治療院の中村と言います。 当院は2000年に開院いたしました。 まずは自己紹介をさせていただきます。 私は香川県出身で、実家はお寺です。しかし、僧侶になりたくなくて、両親から4年という期限付きで東京でプロボクサーになりました。 高校生の頃から腰を痛めていました。私の当時は腰痛に対する理解もあまりなく、弱音を吐いていると思われたくなく、我慢に我慢を重ねていました。 しかし、選手としてのレベルが上がるにつれて激しくなる練習。 両親との期限の4年目。3連勝し、A級ボクサーに上がり、日本ランキング入りを賭けた試合5日前。とうとう私の腰の限界が訪れました。まともに歩けない体になってしまいました。 いいといわれる病院、治療院など行きましたが結局、期限を迎えたということで私もあきらめました。 自分はパンチもそんなになく、スピードもなく、自信があったのはダウンしたことがないタフさだけでした。でも、せめて倒される自…
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